なぜFARを始めたのか
私はFARのコーチの梅原です。学生時代の9年間米国のカリフォルニアで過ごしました。その間、日本人とあまり交わらなかったので、日本語を忘れました。 例えば、米国へ行って数年後に一回日本に一時帰国したことがありました。そのときはまだ羽田空港でした。迎えに来ることになっていた両親がいないので、電話をかけようとしました。赤い公衆電話を前にしてはたと困ってしまいました。日本のお金はあったのですが、いくら電話機に入れるのかが分からなかったのです。また、10桁の電話番号はあるのですが、その前に番号追加してを回すのか、羽田の市外局番は何番なのか、10桁全てを回すのかなどが分かりませんでした。 当時のアメリカでは電話番号の前にある特定の番号をつけると自分の契約している電話会社の回線を使えるようになっていました。そして、値段が割り引かれるのです。しかし、何よりも「0(ゼロ)」を回すとオペレーターにつながるのです。分からないことがあると、「0」を回してオペレーターに聞けばよいのです。羽田空港でも「0」を回しました。当然ですが、何も起こりませんでした。 また、混んだバスや電車などで人を掻き分けて進むときに「ごめんなさい」とか「失礼します」などと言いながら進みます。でも、それが出ないのです。何と言っていいのか分からなくなっていたのです。私の口から出た言葉は「Excuse me」でした。18年間使ってきた日本語ですが、忘れるのは意外と早いものです。 誰が英語を話してもアクセントはあります。私の場合はカリフォルニアのアクセントがあると言われます。英語は私にとって第二の母国語と言えます。 ところで、角川『字源辞典』には漢字の「音が意をあらわす」と書いてあります。それに始めて接したとき、少々驚きました。と言うのは、私はそれまでは漢字の形が意味を表すと思いこんでいたからです。その後そのことがずっと頭の隅にありました。 1990年代後半、中国語のレッスンを小人数で受けていました。教科書のあるページを繰り返し、繰り返し声を出して読んでいるうちに、情景が浮んできたのです。つまり、意味がわかってきたのです。「ああ、音が意をあらわすとは、このことか」と納得がいったのです。 個々の単語の意味は知らなくても、繰り返し、繰り返し音読することによって、言葉の持つ意味が解き明かされて行くのは不思議な経験でした。 この素晴らしい体験を他の人にも味わってもらいたいと私は思いつづけていました。そして、どうせなら日本語でない言葉でやってみようと思い、英語の本を音読することにしました。 "Gift From The Sea" を最初の本として選びました。それは、その本の英語の美しさと内容の豊かさと適当な厚さとからです。 コーチの梅原に関する簡単な説明はここをクリックしてください。 以上がFARを始めるに至った経緯です。ご質問のある方はここをクリックして、メールにて問い合わせてください。 |