『神との対話』
『神との対話』の原書は私が今までに読んだ本の中で一番重要な本の一つです。私が長い間温めてきた疑問にもずばりと答えてくれます。例えば次のような疑問に対して明確な答えを与えてくれます。 ・自分の生まれたきた理由 ・人間関係の意味 ・自分は「誰」であるか 原書にこだわる理由は、翻訳された本は「よい本」です。しかし、残念ながら「迫って」はきません。したがって、翻訳された本は原書とは別なものとなっています。 『神との対話』はFARの一つとして行っています。ここでは頭で理解するだけではなく、頭で理解したことを自分の体験として理解するようにしています。だから参加者が自分の体験を盛んに分かち合っています。 地球のこれからにとっても、非常に重要な本です。だから『神との対話』の原書に記されていることを多くの人と分かち合うことはとても重要であると思います。その為に私は労を惜しみません。 ところで「宗教」ではないかと心配されている方もいらっしゃると思います。宗教ではありませ。宗教には「教祖」がいます。しかし、私達にはそのような人はいません。むしろ参加者が直接神とつながるように促しています。 宗教のもう一つの特徴は「方向性」です。宗教でのメッセージの方向は「教祖から信者へ」です。「神が○○を求めているから○○を提供しなさい」というようなメッセージが教祖から出されます。例えば、古代エジプトでは、「神がお腹をすかしているので、小麦を倉庫に満たしなさい」などです。ここでは村人は神や司祭の為に働きます。 ところが、シャ−マニズムやアミニズムなどの原始宗教では方向が「逆」です。信者、つまり村人が、神が○○するように、司祭に云います。例えば雨乞いです。神や司祭は村人の為に働きます。 この方向性は、個人の「信仰」においても同じです。「苦しいときの神頼み」においても方向性は同じです。参加者が求めていることが得られるようにするFARにおいても、この方向性は同じです。 |
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